ふっと、こんな夜中に、エディタをポチって思ったのですよ。
iOSのアプリケーションもそうなんだけれど、今現在、私がアプリケーションとかを買う感覚は、私が書籍を買う感覚にかなり近いらしい。
私は本をかなり多量に買う方なのですが、実際のところ買う本を検討して選別しているわけではあんまりなくて、買った後に吟味してたりします。賢い消費者的な観点では全然イケテナイ感じです。
もちろん、購入判断をするときは、ふるいにかけます。例えば前に読んでつまらなかった著者の本は避ける、とか。でも書店で立ち読みしたりまではしないですね。
頭から終わりまで読むのに、1時間以上かかる本はまれ(まれといいつつ、史書や技術書も読むのでまれって言うほどでもないですが)なので、読んじゃった方が早い。文庫本なら一冊千円くらいだし、それくらいなら買ってから悩むかな、みたいな。それに買うからこそ「この本、つまんない」とかいう権利があると思うのですよ。ええ、まあ勝手にそう私が思っているだけなのですけれどね。
昔は書店で十数冊単位で購入し、ひーこらいながら持ってかえってきたものですが、今はAmazonでポチるのがメインです。
おかげさまで宅配業者の人ともすっかり顔なじみになってしまいました。(毎週のように、時には、毎日来てもらってすいません。へへへ)
つまり私にとっては購入障壁がかなり低いんですね、本って。
一方、アプリケーションって購入するときには結構身構えたりしていたものです。
だってどれも高いですし、購入が面倒ですし、使ってみるともうしょうもなくダメな感じだったりすることがある。
iPhoneを買ったばかりの時は、ほとんど無料アプリ使っていた気がします。悩んで、ようやく有料の購入ボタンを押す、みたいな感じで。
けれど、最近は、App Storeでアプリをポチッているわけですよ。
ポチるまえに、深い検討なんてしてない。だって、大抵のアプリは高くて3000円くらいですからね。1万7000円のOmniGraffle Proを購入するときは、さすがに数分悩みましたが。
買って2割くらいは即行存在忘れるくらいの感じで(アプリケーションの出来が微妙とは限らないんだけど)、5割くらいは数回起動したら、もううち捨ててる。残るのは3割くらい。
普通に考えると、無駄な購入だと思うのですが、私の脳内ではあんまりそういう感じにはなっていないのです。
つまらない本も、私に取っては余り役に立たなかったアプリも、自腹を切って購入し使ってみた、と言うことで、なんとなく分かったりなんとなく感じたりする要素がある。
錯覚かも知れないのですが、自覚できる、というのは重要なんじゃないかと思います。
借り物じゃなんかこう、そういう感じにならない。
例えば、私がiPadを持っていなかったとして、他人のiPadを触ったり店頭でモックを触ったりしても、多分感想としては「ふーん、すごいね」で終わりがちになると思うんですよね。感受性の低さの暴露と言えばそうかも知れませんけど。
といって、何時までもそうというわけでもない。
おかげさまで、タブレット端末を買いまくって使いまくっている関係で、「実際に日常生活や業務で使うときに」気になる点、というのは、理屈と言うよりも感性的な部分で理解してきているような気がします。
例えば、タブレットやスマートフォンで、絶対的に重要なのは、操作性がどうとかOSがどうとかではなくて(ただし使える最低限のレベルに達している必要はあるのですが)、バッテリー。バッテリーが早く切れる端末はどれだけ凄い機能を持っていたとしても、使えない。iPhone 4を使っているのは、そのへんもあったりします。
他にも、充電が簡単にできることや、もちろんUIなども重要なのですが、わりとそれらは、カタログスペックではなくて使ってみて得た感じがあります。
もちろん購入前に考えていたこともあります。
例えば、iPadなんて、ノートパソコンの代わりになるんじゃない?! と思ってましたよ!
でも現実はどうか。ああ、この手元にあるMacBook Airはなんだろう(笑
もっともこれは、「iPadはノートパソコンでできるようなことができない」ということではなくて、「ノートパソコンで行うことはノートパソコンで行った方があきらかに早い」というだけの事だったのですが。
例えばテキストを打つ、ということをする場合、ノートパソコンではキーボードをぱちぱちと打てば済みます。同じ事をiPadで行おうとすると、こう、イマイチ具合が悪い。まず物理キーボードを別に用意しないといけない、もしくはソフトウェアキーボードを使わなければいけない。
これはまだ明快な解を見つけていないのですが、おそらくこの「ノートパソコンと同じような解決方法で、タブレットでの手段を解決しようとする」というやり方が間違っているんじゃないか、と思うんですよね。その意味では、7notesとかは面白いです(ただ、筆記の入力速度がそう速くはない分けなので、そこにジレンマがあるのですが……)
少し主題から逸れるのですが、タブレットの世界というのはなんというか「パッケージングされた世界」になっていくと思うのです。
これまで、PCではアプリケーションというのは「画像が編集できます」「テキストが編集出来ます」という、手段を提供するものだったと思います。それをどう使ってどんな目的を達成するかは、ユーザーに委ねられている。
ですがタブレットではこうではなくて「今とった飲み会の写真を綺麗にします」とか「今立って居る場所の近くにある喫茶店を教えます」とか、目的に直結した手段を提供するものになっていくんだろうな、と思うのです。
まあ、これが合っているかどうかは別として、こういうことは多分触って見なければ考えなかったんじゃないかな、と思います。
しかし、使ってみたり読んでみたり触ってみたりしないと分からない、と言いながらも私も何でもかんでも買うわけでも使うわけでもない。
例えば車はまったくと言っていいほど興味がありません。免許をもっていないということももちろんあるのですが、取ろうとも思わない。車種とか言われても分からないレベルです。セダンってナンダ?
ブランド物の服とかそういうのも同じように興味がない。使ってみれば良い物なのでしょうが(でなければ長年にわたってファンが居るはずがないし)。
金額が購入障壁か、といえばそうでもない。
今年に入って、Macを買いまくりましたが、衝動買いをするような価格ではないし、私も衝動買いではなくて一応理屈をこねて購入したのですが、やっぱり主要な要素は「使ってみないと分からない」という感じだったりするのですよ。
それに、Windowsのアプリケーションが例えば2000円で売られていたとして、もちろん内容にもよりますが「安い」と思うか、と考えると、そうは思わない。
購入のしやすさとか、金額とか、購入対象の相場とか、そういったものが勘案されて、「ポチりやすい」「ポチりにくい」という感じがあり、私にとって、App Sotreが提供するアプリケーションは、その「ポチりやすい」領域に入ったんだと思います。
ちなみに、同じ金額でも、Andoroidでアプリを購入するときは結構吟味するので、やっぱり金額が問題だ、とも言いがたい。
これは、私としてはかなり面白い感覚です。他人にとっては意味不明だったりすると思うのですが。
これまでは本が主にその対象だったのですが、同じような感覚を別のものにも感じ、もちろん両者は物としては全然違っている。が、それに対する私の行動は似通りはじめている。
それが単なる興味の変遷なのか、それとも時代的な消費性向の変化なのか、単に私がおかしい人なのか、よく分からないのですが、非常に興味深いです。夜中にこんな事を考えていることも、興味深い(笑
1年後、そういう感覚がどうなっているのかもなかなか興味深い点です。
デバイスも本もアプリケーションも実際に手に取って(物体で、という意味では無い)所有して好きに読んだり使ったりしてみないと、その価値がよく分からない、という感覚があるっぽいのですが。
所有欲、っていうとやっぱり違う気がするんですよね。
やはり、興味対象だ、という感じが大きいのかもしれない。興味をもったものはなんでもいじくりまわしてみないと満足できないタチなのです。そしていじくりまわすためには、それは私のモノでないといけない(笑
そうやって自分を正当化したり悩んだりしたりする振りをして、アプリや本をポチって、毎月、クレカの明細を印刷するときに余りのリストの長さに嘆くわけです。
まあ、つまりは。
買うか悩む前に、買ってしまえ!
ということですね!(違