
遊びの品格
著者/訳者:川北 義則
出版社:中経出版( 2009-05-30 )
単行本 ( 239 ページ )
男性向けの本らしい。「洗練された大人の遊び方」だそうな。
「品格」という、ちょっと前に新書でスタンプのようにつけられた書名ですが、内容との関連はよくわからない。
なかなかおもしろいと言えば、おもしろい。
ようは、
「忙しくても遊べ」
「真剣度が重要」
「楽しめるものをやれ」
「周りからみて見苦しくない遊び方をしろ」
という感じ。ああ、そのあたりが「品格」か、一応。
ただ、分野が少し広すぎてあまり参考にはならないんじゃないかな、という印象を感じました。
遊び心、趣味、作法、恋愛、お金、芸術、と6つのパートに分けて著者の持論を展開していきますが、拡散しすぎている気はします。とはいえ、前時代のダンディズムみたいなものは感じました。少なくとも確かに「下品」ではない。
それを趣味というべきか、遊びというべきかはわからないですが、確かに、生業とは異なる、利得や死活に関わらない何かはあった方が、きっと人生豊かに生きられるのでしょうね。
現代は無用に忙しすぎる気もしますし、「忙しくても遊ぶ」とか「真剣に遊ぶ」とかは結構重要なんだろうなぁ……
とはいえ、真剣に遊ぶべき対象を見つけるのはなかなかに難しいものですが。
私とかだと、趣味欄は「読書」とか書くべきなのかもしれないですが、趣味って言うとやっぱちがう気がします。別に楽しみのために読んでいるか、というと、ちょっと違うし(楽しくないわけではない)呼吸するように読んでいるというか、まあ、習慣みたいなものでもあるし。当然読書中はつねに真剣に読んでるわけでもないし。なかなか真剣になにかやるというのも難しいものです。
%htmlEscapedText
読んでて、何となく私が感じた感触と近いな、と思ったので。もっとも私は初代iPadも使っていましたが。
結局iPadの何がいいのかというと、
・すぐ使える
・すぐ見られる
・ノートPCよりは携帯性がある
・デスクがなくても使える
・ノートPCより、駆動時間が長い
・ビジネスなどで使う、実用アプリケーションはほぼそろっている
というあたりにあるんですよね。ようはスマフォとPCの間のデバイス、というか。
そのあたりが、ある程度目的があって使ってみた人と、目的がなくて使ったか使ったことのない人の感想の違いで、いわゆるボールペンギャグみたいな話になってるんじゃないかなぁ、とか思うわけです。
アメリカのNASAは、宇宙飛行士を最初に宇宙に送り込んだとき、
無重力状態ではボールペンで文字を書くことができないのを発見した。
これではボールペンを持って行っても役に立たない!
NASAの科学者たちはこの問題に立ち向かうべく、10年の歳月と120億ドルの開発費をかけて研究を重ねた。
その結果ついに、無重力でも上下逆にしても水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、
どんな状況下でもどんな表面にでも書けるボールペンを開発した!!
一方、ソ連は鉛筆を使った。
(ちなみにこれはジョークで、NASAがボールペンを使ったのは民間にそういう製品があったかららしいし、その開発にNASAは1ドルも拠出してない。Fisher Space Pens
ソ連のほうは、ガガーリンは鉛筆使ってた、という話だけど、たぶんどこかで切り替わったはず。どう考えても無重力下で削り滓が出たり芯が折れて飛ぶ可能性のある鉛筆を使い続けるのは、無用な危険しか生まないし)
ソ連は鉛筆でいい、と判断したけれど、アメリカはボールペンであるべきだ、と判断したわけです。どちらも書くことは書けるけれど、たとえば鉛筆の場合は削らないといけないとか、そういう手間があるわけで、それを「受容」するのか、それとも違うステージに移ることを欲するのか、でどうすべきかが変わるし、違うステージのイメージがないと、そういうものなんだ、で「常識」になり、それが当たり前になり、違うことは考えなくなる。そして新しいなにかが出たときにそれまでの「常識」を尺度に解釈し、「○○ができねばならない」「××はできてはならない」となる。
その意味で、この記事の著者が、
筆者にとって、iPad 2は手っ取り早く使える素晴らしいリファレンスツールとなっている。簡単に持ち運ぶことができ、画面のサイズはウェブサイトの閲覧に十分であり、文書やスプレッドシート、プレゼンテーションを扱うための魅力的なアプリケーションも数多く提供されている。ネットブックキラーとまでは言えないものの、持ち運びやすさという点から、そのフォルムや機能性において一定の評価を獲得するのは間違いないだろう。ウェブサイトの閲覧や、電子メールのチェック、文書の参照、タスクや連絡先の管理といったことを行うためのツールが必要という人にとって、iPad 2は本当に重宝するデバイスとなるはずだ。
と述べているのは、実に的確な話だなぁ、と思うんですよ。
タブレット端末は、今のところは、「見るため」のもので、複雑な入力系を必要とする何かを「創る」ものではないんだと思う。で、たぶんそれは今後も変わらない。
変わらないのですが、ソフトウェアの進化や、GUIの洗練に伴い、「複雑な入力系」が単純なインタフェースに改良、改善されていくにつれ、その分野では「創るため」のデバイスになっていくんじゃないのかな、とか。
ま、といいつつ、iPad用にキーボードとかも買っちゃうわけですが(笑
夜中に適当に書き散らしてみる。
なかなか良本でした。
「コピーライター」としての読み方として、よく本に取り組みじっくりと書かれている言葉を自分の中で解釈することを説いています。
その「解釈」も実に多彩。他のコピーライターの研ぎ澄まされた文章を読み解くこともあれば、源氏物語の現代語訳をずらりならべて、同じものから出自したはずの違うものに思いを巡らせる。
HowTo本のようでいて、全然HowTo本ではなく、普遍性よりも、著者の感性を存分に出した、方法論というよりはエッセイに近い本です。
さりとて役に立たぬかといえばそんなこともない。その文章の捉え方はとても鋭いし、「ああ、こういう読み方もあるのか」とか「こういう作品もあったのか」という、様々なことに気づかせてくれました。
ところで、この本ではいわゆる「速読」はイカンと言っているわけです。
個人的には、本の読み方、というのはいわば道具のようなもので、時々によって読み方は変わって当然だと思います。速読するときもあれば、熟読するときもある。
ただ、「コピーライター」としての読み方としては、たぶんこの方のおっしゃっていることはかなり正しいんだろうな、と思います。言葉というものに真剣に向き合い、練り上げられた言語へのセンスがあってこそ、できる商売なんでしょうね。
私にはとうていできる気がしない(笑)